『009の日』に思う「善と悪」

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サイボーグ009


さきごろ、アニメの1966年版.1979年版を少し見る機会がありました。



後者(テレビアニメ第ニ作)の最終回は
ネオ・ブラックゴーストとの決戦
大ボスは三つ子の三人。
彼らにそっくりで「東洋のイエス」と呼ばれる高潔な人物「ガンダール」がいた。
彼は三つ子の脳から善の部分を手術で取り出し、一人に集約した存在であった。
009達の力及ばず、三つ子の野望が果たされようとした時
相反する…ガンダール(善)と三つ子(悪)が接触することにより四人は最期を遂げるのであった。

※※※
前者(アニメ第一作)は
ブラックゴーストの存在は設定されていないものの、その最終回で同じテーマ性が描かれる

悪魔のマスコット人形と云う存在が
人間の心に働きかけ、戦争や大量殺戮を起こそうとする。

009と対峙したとき

僕を倒しても、もう遅い。
さっき人間達の心に種をまいておいた。
僕が倒されても人間達の心に在る悪が戦争や殺戮を起こすのだ

…てな内容を語る。
これは、「ブラックゴースト不滅」の定理なのである。

人形を倒した009は宇宙から地球に落ちて命を落とすかと思われたとき
002・ジェットが救出に飛行し…

このシーンは原作のヨミ篇ラストを意識したものであろう

で…
二人は助かります。

そうなのだ。
ここで二人が死んでしまうって事は

「ブラックゴースト不滅の定理(byアカエイ)」からすると
ブラックゴーストの勝利となるのである…
滅びの美学に酔ってはいられないのだ
いやいや、たんに子供向けアニメと云う配慮だけだったかも知れないが…



※※※
で…
神との戦いはどうなるのでしょうか
を買い替えてから、配信漫画が見れなくなってしまいました


そもそもここでの「神」とはどういう設定なのでしょう
…善か悪か、文字通りの神そのものか、はたまた古来より神と呼ばれし何らかの超生命か…
少なくとも神を名乗るサイボーグではなかろう

神と戦えば009達も只ではすまない…
なんて事を石森さんも生前何処かで書かれていた様に思う

009達や人類の死を賭した戦い…


ならば私は思う
人の心に悪があるかぎり…ブラックゴースト不滅の定理は成立している


それは人がいる前提の法則である。
人がいなくなれば泡と化す
つまり

ブラックゴーストは自己の存亡危機を回避するため
009達と共闘すべく出現するのが自然なのではないだろうか…8マンのデーモン博士の様に


石森の構想には無いよ…って言われるでしょうが
妄想はファンの特権でさあ…


で、神に苦戦中の009達にブラックゴーストが参戦

壮絶な三つ巴の先には意外な展開が

今にも止めを刺されそうだった009達から神の矛先はゴーストへ


神は失敗作である人類の抹消を実行すると見せ掛け
実は病巣の切開手術…
ブラックゴーストを引出し切除に及んだのだ

ボロボロになった009達…003と支えあいながら
人類の新しい夜明けを象徴するかのような、上り始めた朝日を見るのだった


※※※
石森構想は違う??
わかってますって妄想遊びだから


でも
「神」が本物の神であるならば
009達が助かる道はこれくらいしかないのではないだろうか


そして、
善と悪…

本当に両者同存してこそ人間なのか?

善では人間と 言えないのだろうか?
アニメ第ニ作の東洋のイエスことガンダールを見てると、
それもありかとも思えるのだが…




ともあれ
サイボーグ009の日でございました。