あさのりじと光速エスパー
「光速エスパー」には松本零士版もありますが、
本家は、あさのりじ版。
そのあさのさん…
エスパーを描くまではその連載誌をコツコツと支え続けていました。
一例として
月刊「少年」1965年4月号を見てみますと
もうひとつの代表作「発明ソン太」を何年も連載されています。
でも、氏の仕事は
「発明ソン太」の漫画家さんである事に留まっていません。
以下にこの号に描かれた頁をあげてみましょう。
■「発明ソン太」=13頁
■少年科学マジック(構成・文・絵)=7頁
■モーちゃんター坊の工作教室(案・絵)=4頁
■クレージーランド=4頁
■象そのふしぎな能力のナゾをとこう=2頁
■マブチサーキット=2頁
■南極でくらせば=10頁
以上、自作頁だけで26頁(クレージーランド中2頁含む)。イラスト参加等を含むと計42頁もの紙面貢献をされています。
同じ雑誌連載の看板漫画である鉄人28号やアトムの掲載が僅か7頁…付録がない本誌掲載のみの場合でも、せいぜい16頁しか載らない時代において
一誌に7本・42頁がいかに脅威的な数字であるか、当時意識した読者がどれ程居た事でしょう?
こうして知名が響く事なく長年、日本一と言われた少年月刊誌を支え…と云うより作ってこられた一人であるあさのさんに
スポットライトがあたる時が訪れました。
光速エスパー
テレビ化作品であり、提供の東芝電気のマスコットとしてあさのさんデザインの光速エスパーは宣伝に、シャッター絵に、マスコット人形にと全国を舞台に飛び出しました。
時は月刊誌から週刊誌へ移ろうとし、劇画の台頭激しい時代…
しかしながら
光速エスパーの絵はあくまでも丸みのある漫画の絵…
以前より描き続けてきた「ゆかい漫画」とほぼ変わりない絵で望みました。
東芝の広告頁のエスパーを見るとあのシャッター絵より更に丸みがある可愛いエスパーの姿が見られます。
これは確かに正解だと思います。
ただ、漫画作品としては、劇画的要素に期するものがあって「まんが」である事に徹っしられたのか…それとも?
今となってはもう知り得ないんですよね。
そして現在、
光速エスパーの名は記憶に残されました。
作者があさのりじさんである事
漫画家だけではなく、科学・工作ジャンルでの才に富んだライターであった事
「少年」誌を光当たる鉄人・アトムらの陰から日本一へと押し上げた一人である事…
光速エスパーの名の記憶が、、氏の業績を知るキーワードになることを願って…
そんな事を
通りがかりのシャッターを見て想い巡らすアカエイが変わり者なのは自覚してるから、突っ込み御無用でね…。