サスケと赤目プロ

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いよいよ最初の目的
「赤目プロ」の表示が何時されたのか…で御座います。

プロダクション方式は、
月刊から週刊誌時代に入り、製作枚数が飛躍的に増えざるをえなくなった時期
量産するには増員をと、とられた態勢。
特に白土作品は、(当初)原稿料を見込めない『カムイ伝』の開始にあたり、収入補填の意味でも少年誌等の場で量産する必要が生じました。
時に1964年。赤目プロ設立。

赤目プロの特色は、ペン入れを他のメンバー(作家)が担当したこと。
漫画がストーリーと絵で出来てるとすれば、ストーリーに比重を置いたと云うべきか?
かくて
カムイ伝』は生まれる事が出来たのである
白土の絵ではないと云う選択の上に。

前々々回「サスケ・カムイ」で、upしたカムイの顔二種は同じキャラであっても『カムイ伝』と『カムイ外伝』とでは見るからに違う!、これは読者層による描き分けと云うより、ペン入れ作家の違いからだと思われる。
(基本的に、作品によってペン入れ担当が振り分けられた、、。)

そこで『サスケ』話題に戻るのであるが
白土単独名義時代から赤目プロ発足を経て後までの態勢変化を跨いで連載していた貴重な作品なのである。
カムイ伝カムイ外伝、ワタリは赤目プロ作品)


実際、サスケ連載当時から絵柄の変化が気になっていた。
今回この機会を得て改めて調べてみると、
絵が変わった時期とカムイ伝スタートとがやはりシンクロしているのを確認出来た。
その時点で『サスケ』も実質的に赤目プロ作品になったのであるが、「赤目プロ」表記は翌年の
1965年7月号になってようやく、内表紙のみに小さく書かれる事になる。
連載開始の1961年7月号から4年後であった。
(画像1.→1965年6月号。画像2→同年7
月号内表紙。画像3→同7月号外表紙)



余談ながら
『ワタリ』の表紙タイトルに小さく書かれるコピーが
「WHAT IZ  WATARI?」
であるのに対し

『サスケ』は
「NINZYA SASUKE」
であった。